思い出の配当が人生を豊かにする【Die With Zero ゼロで死ね】
こんにちは、てつです。
最近、「思い出の配当」という言葉に出会いました。とても良い言葉だと思ったので紹介します。
思い出の配当で生きる
この言葉ですが、最近読んだ「Die With Zero ゼロで死ね」という本の中て紹介されていたものです。元は英語の本で「Die With Zero」というタイトルで、日本語訳では「ゼロで死ね」という副題がついています。
ちょっと過激な言い方ではありますが、内容はいたって親切で、お金を始めとした資産はいくら貯めても天国にもっていくことができないのだから、生きているうちにしっかりとお金を使い切ってそれを素晴らしい経験に変えていきましょうという考え方を紹介してくれています。
その考え方の中でも特に特徴的なのが、この「思い出の配当で生きる」というものです。
これはどういうことかと言うと、すでに50代になっているこの著者が書いていることですが、人が幸せを感じる時というのは、昔こんなことをやったなぁだとか、あんな経験があったなぁだとか、それら良い思い出を頭の中に巡らせて幸せな気持ちをかみしめる時だということです。
特にリタイアしてシニアになってからは、日々の大変な仕事からは解放されるものの、逆に若い時ほど身体に自由が利かず、思ったように思い出作りができないもの。
ですが、若い頃に経験していた事はいつまでたっても記憶の中に残っていますし、どれだけ体が衰えていったとしても、頭の記憶の中に残っているそういった楽しかった記憶が何度も何度もよみがえってきてはそれを楽しむことができるということです。
それはまさに、思い出から得られる配当のようなもの。
しかも何回も何回も繰り返しもらえるものなので、株を持ってるだけで何回ももらえる配当のようだということです。
経験したことが将来思い出として味わえる
これはなんて素敵な考え方なんだろうと本を読みながら感じ、自分自身にとって配当になるであろう思い出とはどんなものなのかなぁ、などということをワクワクしながら考えてみました。
昔、自分が子供の時、家族で旅行に行ったときのこと、大人になってからバックパック1つで旅行をした時のこと、ずっと憧れていたアメリカの地に立って周りを見渡すとすべてがキラキラして見えたこと、自分の子供が生まれて本当に感動したこと、などなど。
そういった事はこれまでも思い出しては浸ってきましたが、なるほどこういったことがこれから歳を重ねるとますます大切で味わい深い思い出になってくるんだなぁということが想像できるようになりました。
たくさんの経験を重ねていきたい
僕には今子供がいるので、休日には家族で一緒に過ごす時間を大切にしています。
ただ不思議なことに、家族みんなで家でゴロゴロしていても、後になって思い出す事は特にありません。むしろ、思い出そうとしても、それは難しいくらい。どれだけ意図的にゴロゴロしていたところで、思い出すものが何もないのです。
それに対して、外に出かけてきれいな景色を見たり、何かおいしいものを食べに行ったり、大切な人に会いに出かけたり、という時間を家族で過ごした時の方が、よほど記憶に残って後で思い出すことも簡単です。
それに気づいたとき、思い出を作るという事は、お金がかかるかもしれませんがそれよりも、意図的に新しい経験を得ることで、それが記憶に残るような刺激になっているということに気が付きました。
つまり、いつもと同じようなことをどれだけ繰り返していても将来の思い出の配当としては返ってこない。そうではなく、新しい経験をした時だけ、それが刺激となって記憶に残り、将来も思い出での配当として何度も味わうことができるということです。
ですから、週末も多少疲れていることがあったとしても、家族みんなで出かけたり新しいことに取り組んだりすることで、楽しい思い出をたくさん積み上げていきたいと考えるようになりました。
そしてこの本で書かれていた通り、そのための出費は惜しまず、その時にしかできない経験に、積極的に時間やエネルギーを投資していきたいと考えるようになりました。
まとめ:思い出を積み上げ、将来の配当として楽しむ
たまたま読んでいた本でしたが、思いがけず「思い出の配当」という素敵な言葉と出会うことができました。
いわば、人生そのものが思い出作りのためにあるということ。
それならば、あなたはどのような思い出を積み上げていきたいですか?
Good luck!