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【世界遺産】富岡製糸場の歴史を学ぶ。明治期リーダー達とお雇外国人

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先日、仕事の合間をぬって富岡製糸場(群馬県)に行ってきました。

みなさんご存知のとおり、明治時代初期に設立された富岡製糸場は日本の近代化に大いに貢献し、2014年にユネスコ世界遺産に登録されました。

そのおかげか、富岡製糸場はじめその周辺は観光客が目白押しで、大にぎわい!

お土産物屋やカフェも充実していて、休日に足を伸ばしてみてはいかがでしょう?

本記事では、富岡製糸場の歴史から学べるポイントを紹介します。

[jin_icon_checkcircle color=”#41a317″ size=”18px”]学びのポイント

1.壮大な目標と戦略の設定

2.世界情勢への理解

3.海外ベストプラクティスの導入

グローバルビジネスで活躍しているあなたにも、ヒントがあるはずです。

 

【世界遺産】富岡製糸場の歴史を学ぶ

正面入り口

 

パンフレットと案内の看板

 

その富岡製糸場、現代の工場に比べれば小さなものですが、当時は世界最大規模の工場だったそう。

明治政府がかかげる殖産興業にしたがって、世界最大の製糸工場を目指していたのです。

操業開始当時の生産設備

 

改めて歴史を学んでびっくりしました。

当時のリーダーたちがすごいんです!

ぼくたちも見習うべきことがたくさん有ります。

1.壮大な目標と戦略の設定

上で書きました通り、富岡製糸場は「世界最大規模」を目指して設立されました。

これってどういうことかというと、「リーダーたちが世界基準を知っていた」ということですよね。

それに、少しずつ大きくしていったのではないんです。

当初から世界一を目指して設立

設立当時から、「世界一を取るぞ!」と決めていたのです。

また、それほどの大型投資に至る決断は決して簡単ではないはず。

しかし当時すでに生糸は日本の最大輸出製品として海外で売れていたこと、細々とした作業も日本人が得意とするところであることから、「よっしゃ、生糸で勝負をかけよう!」と決断。

リーダーたちが見ていた先は規模の小さな国内マーケットではなく、「規模の大きな海外マーケットで売れる製品を作り、日本のために外貨をじゃんじゃん稼ぐぞ〜!」ということだったのです。

世界に貢献

そして、今回、世界遺産に登録された基準の一つとして、「当時まだ高級品だった生糸の大量生産を実現し、世界中の庶民の手にも届くようにした」ことも挙げられています。

つまり、富岡製糸場の成功は、日本人のためだけではなく、結果として世界中の人々のためにもなったということですね。

現代でいえば、自動車や電化製品などの日系企業が高品質・低価格の製品をもって、世界中の人々の生活に貢献していることと同じですね。

 

2.早い意思決定と実行力の裏にある、世界情勢への理解

明治の経済発展の旗印として、富岡製糸場を設立するにいたるスピードがとても早いです。

その決断と実行のスピードには、目を見張るものがあります。

スピーディーな実行経緯

明治政府がスタートしてからの素早い意思決定を実行スピードを見てください。

1868年1月:明治政府樹立

1870年2月:器械製糸の官営模範工場の建設を決定(明治政府樹立から25ヶ月!

1870年6月:お雇い外国人としてフランス人技師のポール・ブリュナと仮契約締結

1870年11月:製糸場建設地を富岡に決定、ブリュナと正式契約締結

1872年11月:富岡製糸場の操業開始(工場建設決定から33ヶ月!

このプロジェクトを率いていたリーダーの中には、かの伊藤博文渋沢栄一がいました。

彼らはそれぞれ1841年と1840年の生まれですから、1870年に建設決定にこぎつけた時はそれぞれ、29歳30歳(若い!)。

リーダーたちが世界情勢を理解していた

当時まだ尊王攘夷だとか徳川幕府を守れとか、薩長土肥のどこが主導権を握るのかとか、国内の政治体制をめぐって日本中が争いを繰り広げていた時代。

そんな中、「欧米列強の植民地にならないよう、急いで日本を強くしないといけない!急げ、急げ!!」という強い信念のもとに走り回っていたんですね。

リーダーたちがこういった大局観を持っておらず、国内の政権闘争に明け暮れていたら、日本は遅かれ早かれ欧米諸国の植民地になっていたかもしれません。

ちなみに両名とも海外に行ったことが有り、列強諸国との国力の差や世界情勢を自分の目で見て理解していました

 

3.海外のベストプラクティスを躊躇なく導入

ブリュナをお雇い外国人として招く

ブリュナお雇い外国人の候補として声をかけられたのは1870年のこと。

1840年生まれのブリュナが30歳の時です。

まさに伊藤や渋沢とも同世代でとても若い人材です。

しかし、そこに国籍や年齢は関係なく、素晴らしい技術力を持っているということで、ブリュナとの契約が結ばれます。

しかしブリュナの方としましても、母国フランスから見たら当時の日本は極東の辺境。

「うわ、チョンマゲが歩いてるよ。。刀を持っている人たちがいて物騒だし、中には外国人は国に帰れ、って騒いでいる人たちもいる。食べ慣れたフランス料理だって食べられない。こりゃあ、相当な危険地手当がつかないと駐在したくないなぁ。。」と考えていたのではないでしょうか。

お雇い外国人のブリュナを高待遇

結果、富岡製糸場内に大豪邸を与えられます。

しかも、地下貯蔵庫付き!

そこにはフランスから大量に持ってきた食料やワインを保管していたのでしょう。

年棒は時の総理大臣とほぼ同等

「そんなに払ってまでブリュナを雇う必要は有るのか!」という反論が絶対にあったはずですが、リーダーたちは敢行します。

ちなみにブリュナはフランスから持ってきた赤ワインをよく飲んでいたとのこと。

働き手として工女を募集しようにも、「なんだ、見たことのないあの赤い飲み物は?きっと人間の生き血に違いない!工女になっては生き血を取られる!」という噂が町中に広がり、採用に誰も応募せず、相当な苦労したようです。

そんな背景であっても、重なる反論を力強く押しのけてベストプラクティスを躊躇なく導入したこともまた、リーダーたちの偉業と言えるでしょう。

ブリュナ邸;大大大豪邸です

 

生きているイモムシも展示

 

現代のビジネスパーソンが学ぶべきこと

このように、当時の明治期のリーダーたちは、現代のぼくたちが学ぶべきお手本を示してくれています。

まず、目標設定の方法です。

高みを目指しつつ、世界に貢献するという大義を設けていました。

次に、決断と実行のスピード

前例やしがらみにとらわれず、積極的に決断し、どんどんと実行していたのです。

3つ目は、海外ベストプラクティスの導入

優秀な人であれば、海外からでも積極的に招いていました。しかも、大豪邸を与え、給料は時の総理大臣と同じ水準です!

 

自分たちが成長するためには、とことん合理的に計画していかないといけないこと。

そして、その力強い実行力スピード感

現代ビジネスでも必要とされることを、当時のリーダーたちから学ぶことができます。

 

富岡製糸場、おもしろいです!

富岡製糸場ホームページ:http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

 

 

アメリカのトップMBAを取得し、卒業後にアメリカ企業本社の幹部候補生として採用されたノウハウを紹介しています。

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ブログを引っ越しました。→https://presence-japan.com/blog/

現在、プレゼンスジャパン株式会社としてエグゼクティブコーチングを提供しています。

プロフィール
西原哲夫
西原哲夫
経営アドバイザー | エグゼクティブコーチ
慶應→住友電工→アメリカ駐在(25歳)→ノースカロライナ大MBA(30歳)→エマソン米国本社幹部候補(32歳)→日本エマソンGM(35歳)→ユーピーエス社長(39歳)→経営アドバイザー兼コーチ(今) | 2児の父親|アメリカ在住10年|表千家茶道学習者
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