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ケンペルの見た日本 (その3) :日本の気候や地質、渦潮、河川、山岳、温泉、貴金属など

ケンペルの見た日本
 
日本の気候や地質について
ヨーロッパから来たケンペルにとって、日本の気候は、「とても健康的な気候」と感じたそうです。四季折々で違った姿を見せるものの、異常に厳しいものは無い、ということだと思います。ただ、風がとても強くなることがあり、冬の間に時折強く降る雪が厄介だ、と言っています。当時は「皐月」と呼ばれた、6月・7月の梅雨の時期も、「雨は天の恵みである」だなんて言っていますので、降り続く雨にそれほど嫌気はささなかった、ということでしょう。
長い船旅を続けたこともあり、海の渦巻き・渦潮にも興味を示しています。2つ危険なものがあるということで、1つは島原の近くのHayasakiというもの。ネット検索したところ、早崎瀬戸という場所のようで、日本三大潮流の1つに数えられているようです。もう1つは、今でも有名な、鳴門の渦潮です。淡路島の近くのものですね。当時から、その大きさは有名だったようで、数々の歌にも詠まれていることが書かれています。ケンペルいわく、あまりにも巨大で、常に轟音を放っていることから、遠くにいてもそれがどこにあるかが分かった。だから、それを避けることも容易であった。とのこと。
ケンペルの目から見ても、日本の土地というものは、デコボコで、ゴツゴツしていて、丘陵の高低がはなはだしく、農耕作に向かない、大変貧しい土地であったそう。それでも、日本人の勤勉さによって、よく開拓されていると、書いています。しかし、それでも食料が足りないため、海の恵みである、魚・貝・海藻、といった魚介類を摂取しているのだろう、という考察です。
現代のぼくたちにとって有名な河川といえば、信濃川や利根川などで、その長さや流域面積がキーとなります。しかし当時は、「渡れるか、どうか」ということの方が、長さや面積よりもよほど重要でした。その意味で、「危険な川」として最も有名であったのは、大井川であったそう。今の静岡県にあるもので、関西と関東を行き来するための幹道である東海道において、随一の難所であったことは今でも有名です。他に有名であったのは、紀元前285年に一晩にして急に現れたという伝説の残る近江川 (これは今の滋賀県の野洲川か?)、常に深さや流れを変え続け、明日にはどのような姿になっているか分からないことから名付けられた、明日香川 (これは、奈良県の飛鳥川)。

地震がよく発生していることにケンペルは驚いていますが、「自分の母国でよく発生する雷に対して、自分たちがそれほど気にしないのと同じように、日本人も、日本でよく発生する地震に対しては、それほど気にしていないようだ。」と書かれています。興味深いのは、長い歴史の中で、これまでずっと地震が発生していない土地があるということ。それは、五島列島、竹生島、高野山といったところ。いずれも、由緒ある歴史や宗教的な神聖なイメージと相まって、何かすごい力に守られていると信じられていたようです。

駿河の国の富士山は、世界で最も美しい山だとケンペルは言っています。山頂は常に雪で覆われていたようで、この当時は、時折、山頂から煙を吐いていたようです。まだ記憶新しい、1990年に噴火した雲仙岳は、このころも煙を出していたとのこと。

温泉については、小浜温泉が最も有名であったと書かれています。この小浜温泉、アメリカのオバマ大統領が就任してから、その言葉をかけてメディアに取り上げられるようになりましたが、それまではあまり聞いたことがありませんでした。江戸時代には全国にその名前を行き渡らせていたというのですから、一度は試してみたくなりました。こちら、長崎県は雲仙岳のふもとにあるようです。

金が最も多く取れたのは、佐渡島。他にも、大草湾にある大村、そして筑後といったエリアでも取れたそう。金山、そして金の採掘はすべて当時の江戸幕府によって仕切られていたようですが、江戸幕府が海外における金の兌換比率について無知であったことから、出島にやってくるオランダ人や中国人に、いいようにやられて、国内から金が流出していたようです。海外の様子を知るケンペルからすると、哀れであった、ということです。銀は備後地方、今の広島県あたり、からよく採れたそう。銅は、駿河、越後、紀伊国が主要採掘エリアだったとのことです。

真珠については、ほとんど価値を見出されていなかったようですが、中国人がよく買っていくということで、ようやくその価値が見出され、取り引きされるようになったとか。自分の足元にあるものほど、その価値に気づきにくいものですね。貿易の面白さを感じます。

続きは次回。