【メキシコ旅行】古代遺跡・テオティワカン・マヤ文明とアステカ文明
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メキシコ、そして南北アメリカ大陸に、最初に移り住んだのは、その昔、約3万5千年以上前に、アジア大陸からベーリング海峡を渡ってきた、
モンゴロイド系の人たちだと言います。ぼくたち日本人と祖先が近いわけです。
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メキシコに人間が定住し始めたのは、約2万年前。
南米大陸の最南端のパタゴニアに人間がたどり着いたのは、約9千年前。
と、言われています。
メキシコに人間が定住してから、文明が発達していくのですが、
その代表的なものが、マヤ文明とアステカ文明。
このマヤ文明とアステカ文明、どちらも「謎の古代文明」として取り上げられ、
混同されることが多いのですが、実はそれぞれ、まったく違うものであることを、
学びました。
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マヤ文明は、メキシコ東部のユカタン半島を中心にした、「マヤ地域」に繁栄したもの。
人間がその地域に住み始めてから、多様な民族を形成しながら、今でも続いているという見方をするようです。
それに対して、アステカ文明は、現在の首都メキシコシティーを中心とした、「メキシコ高原地域」に繁栄したもの。
その期間は、15世紀からスペイン人によって滅ぼされた1521年まで。
メキシコ高原地域にも、長らく人間が住んでおり、アステカ文明 (時代) は、その一部にすぎないようです。
メキシコ高原地域の流れをざっくりみると、
- 紀元前1200年〜紀元前後:オルメカ時代
- 紀元前後〜6世紀:テオティワカン時代
- 6世紀〜12世紀:トルテカ時代
- 12世紀〜14世紀:チチメカ時代
- 14世紀〜1521年:アステカ時代
- 1521年〜:スペインによる植民地化
このようになります。
よって、メキシコでは、マヤ地域と、メキシコ高原地域の両地域を中心に、
人類の文明が栄えてきた、という見方をします。
歴史があいまいなのは、16世紀に入植したスペイン人によって、歴史書がすべて焼き払われてしまったから。植民地化の歴史については、また書きます。
・・
今回、メキシコシティーの中心地から遠くない、テオティワカン遺跡に行ってきました。
テオティワカン時代なので、紀元前後〜6世紀の間につくられたものです。
とっても古く、世界遺産に登録されています。
日本の歴史だと、卑弥呼・邪馬台国が、そのあたりですね。
まず、Autobuses del Norteという、長距離バスが発着する、大きなターミナルに向かいます。
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ここから、バスに1時間ほどゆられていると、到着します。
そこは、だだっ広く、
ピラミッドは、どでかいです。
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これは、守り神である、ケツァルコアトルを模したもの。
ケツァルコアトルとは、鳥であるケツァルと、ヘビであるコルトルが合体して、
羽毛の生えたヘビの姿をしています。
雨を呼び、豊穣を祈念するための神様として、あがめられていたとのこと。
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昔の人も、ここを歩いていたんですね。
「ああ、腹へったな〜」なんて、
考えながら、歩いていたのでしょう。
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石と石の間に、つなぎとして白い何かがつかわれています。
しかも、そこに小石を混ぜて、強度を出しているようです。
やりますね。
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こちらが、太陽のピラミッド。
大きくて、大きくて、急な階段を上るのが、すごく大変です。
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それでも、頂上まで上ると、眺望が抜群!
昔の王様は、ここから街を見下ろして、何を思ったのでしょう。
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頂上には、犬が昼寝をしていました。
王の化身に違いないので、そっとしておきました。
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雲が消えて、晴れ間がのぞくと、やはりピラミッドが雄大に見えます。
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太陽のピラミッドから、つきあたりの月のピラミッドまで、
「死者の大通り」がつづきます。
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こちらが、月のピラミッド。
太陽のピラミッドに比べると小ぶりですが、こちらも立派です。
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アステカ時代になると、今のメキシコシティの地域には、
テノチティトランと呼ばれる、首都機能がありました。
別名、「メシコ」と呼ばれていたようで、そこから、今の国名がとられています。
神話の言い伝えによると、
ヘビをくわえた鷲が、サボテンにとまったところを、都をすべきとあり、
その地として、このメキシコシティ域が選ばれたようです。
その流れをくみ、メキシコの国旗には、今でもその絵が描かれています。
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(参考文献)
- 「マヤ 文明 ─ ─ 密林 に 栄え た 石器 文化」著:青山 和夫
- 「物語 メキシコ の 歴史」著:大垣貴志郎
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