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ケンペルの見た日本 (その8) :江戸の街並み、将軍綱吉との謁見の様子

ケンペルの見た日本

江戸の街並みについてケンペルが江戸に着いてからまず目にしたのが、その人の多さ。日本中から江戸に人が集まっていたといいます。そして、住居の小ささと、ところ狭しと隙間をぬって立ち並ぶさまこそ、江戸らしさであったとのこと。どれも木造建築で、窓と言っても障子でできており、とても燃えやすい作り。そのため、よく火災が発生していたようで、どこの家の屋根の上にも常に水を張ったバケツが用意されていたようです。そして、街の統治の様子は、長崎のものとほとんど同じであったとのこと。

ケンペルの手書きですが、屋根の上に水バケツが見えます



将軍との謁見について

遠く長崎からやってきたケンペル一向ですが、いよいよ、将軍との謁見のために江戸城に到着します。はじめに通されたのは、敷地内の端の端の方で、小さな窓しかない、とても小さな部屋であったとのこと。つい四日前には大きな火事があり、4千軒もの住宅が燃えたという話も聞かされます。同じ日には、自分たちが止まることのなったその小さな部屋のすぐ外でも火事があったようですが、幸いにして消し止められたとのこと。そのあとも、火事のニュースを連日耳にしたようで、江戸では、本当に火事が頻繁に起こっていたようです。

ケンペルは、この日のために用意してきたプレゼントを整えます。それらは、ヨーロッパ製のドレス、スペイン産のワイン、松の木でできたテーブルなど。謁見を待つある日、地震が起きてケンペルはびっくりします。大事には至らなかったのですが、なぜ日本の住居の高さが低く抑えられているのか、建物が中心となる柱以外はよくしなる木でできているのか、その経験から学んだといいます。

江戸城に到着してから約2週間、ついに本丸での謁見の時がやってきます。

謁見の間に向かう途中

将軍綱吉は、すだれの向こうに座っており、顔は直接見てとることができなかったそう。ただし、すだれがまくれた隙に、その横に座っていた正室の鷹司信子のことはじっくり見れたと書いています。とても魅力的であったとのこと。

そして綱吉が、ほとんど聞き取れないような小声で何か話しています。すると、家来たちがケンペルに挨拶をするように指示するので、日本のしきたりにならって、額を床につけました。

すべて、将軍から家老へ、家老から通訳へ、通訳から自分たちへ、という順番で言葉が伝えられ、将軍からしきりに質問攻めに会いました。

「年利は?名前は?」「紙に自分の名前を書いてみて」「オランダとバタビヤ (ジャカルタ) はどれくらい離れている?」「バタビヤと長崎ではどれくらい?」「バタビヤとオランダ、どちらの方が強い?」「長寿の薬は見つかっているか?」

そして、異なるリクエストが繰り出されます。

「その上着を脱いで、背筋を伸ばして座ってくれ」「立ち上がって歩いてみてくれ」「オランダ式に、お互いを褒めあってみて」「踊って見せて」「飛び跳ねて」「酔っ払ったフリをしてみて」「日本語を話してみて」「絵を描いて」「歌を歌って」「その上着を着て。脱いで。」などなど。

歌のリクエストをもらった際には、ケンペルは母国の歌を堂々と歌って差し上げたそうです。

ダンスを披露するケンペル。右側のすだれの向こうに将軍・綱吉がいる。

この後、もう数日を江戸で過ごし、それから長崎に戻ります。その道中でも、いく先々で地元民をよく観察し、寺院や大仏を見に観光し、その詳細をしっかりと記録しています。

翌年にもケンペルはもう一度、江戸に参上し、将軍に謁見する機会を得ています。

続きは次回。