『「偶然」の統計学』要約と感想レビュー【偶然と奇跡は説明できる】
新しく誰かと知り合って、「え、同じ学校を卒業していたんだ!しかも共通の友人がいるし、すごい偶然!」
他にも、偶然とも奇跡とも言えるようなことがなぜかひんぱんに起こっている、というような経験が皆さんにもあるのではないでしょうか?
でもそういったことを「偶然」と一言で片付けるより、そのようなことが起こる確率が有ったからだ、と考えると良いようです。
偶然と思えるようなことも、確率的に起こりうるということが、よくあるようです。
そのカラクリをていねいに説明してくれている本を読みましたので、紹介します。
「偶然」の統計学。要約と感想・レビュー
簡単にいうと、「ありえない」ことが起こった時、偶然や奇跡の仕業を盲目的に信じるのではなく、「何か理由があるはずだ」と考えることが必要、という内容の本です。
この本は、統計や確率のリテラシーを上げてくれ、真実を見極める知識とツールを与えてくれます。
以下、 自分の考えを加えつつ、意訳しました。全部で11章ありましたので、それに合わせて。
1章:不可思議なこと
この世の中では、信じられないようなことが次々に起こります。
たとえば、
・とある本を買いたくて本屋を巡ったのに見つからず、仕方なく家に帰る途中で乗った電車の中で、誰かによってその本が席の上に置き残されているのを見つけたこと。
・ある人のことを考えていたら、ちょうどその人から電話がかかってきたこと。
・ゴルフでホールインワンが連続で決まること。
・宝くじが2回連続で当たること。連続して雷に打たれること。
こういう信じられないようなことが起こった時、われわれ人間は「なんだこれは?きっと何かがあるにちがいない。」と考え、奇跡や偶然のせいにすることがあります。
しかし実はそこには法則が働いていて、どんなに起こる確率が低いような「ありえない」ことであっても、実は確率的に起こるべくして起きているのです。
またその法則を理解すれば、「ありえない」ことでも現実的に起こりうることが分かってきます。
著者はそれらの法則を「ありえなさの原理」と呼んでいて、それらの法則は後々の章で一つずつ解説されます。
その昔、ボレルというフランス人数学者が、「ものすごく低い確率でしか起きないものは、結果として、起こることはない。」と説いたそうです。
たとえば、猿が適当にタイプライターを叩いた結果としてシェイクスピアの詩が出来上がるかというと、そんなことは起こり得ない、といった理由からです。
しかしながら、現実的には、どんな出来事であろうと、それが起こりうる確率は事実として残ります。
ですから、「どんなに起こる確率が低いことでも、必ず起こる。ただし、起こる頻度が少ないだけ。」と理解することが正しい考え方となります。
つまり、奇跡や偶然のように感じられることであっても、確率的に説明できるのです。
2章:気まぐれな宇宙
宇宙ってほんと気まぐれで不規則で、僕たちはそれに振り回されて生きています。
たとえば、
ワインを飲みながらボール遊びをしていて、上空に投げたものが間違えてワイングラスの中に入ってしまった。
「しまった!」「でも、なんて偶然なんだろう。。。」というわけです。
人間は本能的に安全を求めて、何か悪いことが起こったときにその理由を突き止めようとする習性があります。
そこで、迷信や予言、奇跡などを信じる人が出てくるのです。
まず、人間は出来ごとの因果関係を探そうとします。
「左右を見ずに道路を渡ると、車にひかれる確率が高い」とか「空がくもっていたら、雨が降る確率が高い」など、「Aが起きた後には、Bが起こる確率が高い」というように考えるのです。
このようにパターンを探すことによって人間は長年にわたって身の安全を守り、生き延びてきました。
だからといって、なんでもかんでもこのパターンが通用するわけではありません。
たとえば、サイコロにキスをすれば6が出やすいとか、てるてる坊主を作れば雨が降らない、など。
これらはいわゆる迷信であり、因果関係が成り立っていないことを理解しなければいけません。
「カーゴ・カルト」というものがあります。
第二次大戦で戦いの舞台となった南太平洋の島においてのこと。
日本軍や連合軍がその島に来ては、制服を着た軍人たちが、飛行場を作り、行進し、着陸する飛行機を迎え入れていました。
その飛行機は「カーゴ」と呼ばれる物資を運んでくることを目的としていて、そのなかにはたくさんの衣服や食料などが含まれていたのです。
終戦後、日本軍や連合軍がその島から去ったのち、そこに残った原住民たちがある行動をとりました。
それは、自分たちで滑走路をつくり、軍人たちが来ていたような衣服を着、行進しました。
そうすれば、飛行機が「カーゴ」をもって飛んでくることを期待していたからです。
もちろん、そんなことは起こりません。
ですが、人間が生活のなかでいかに「パターン」というものを見つけ、それに頼ろうとするかを物語るエピソードであるのです。
野球のピッチャーが投げる前にマウンドの土を足でならすこと、サッカー選手が靴下を左足から はくこと、これらも迷信の一種です。
日本人が数字の4を縁起が悪いと思うのもそうですね。
ヨーロッパやアメリカで縁起が悪いとされているのが13であることを考えれば分かります。
では、なぜ迷信を信じてしまうかというと、人間には確証バイアスというものがあるからです。
これはなにかというと、実際に起きたことだけに着目して、起きなかったことは十分に検証しない習性が人間にはある、ということです。
黒い猫が目の前を通ったあとに悪いことが起き、「ほら、やっぱり!」と思うことはあっても、「黒い猫が目の前を通っても悪いことが起きなかった」ケースがこれまでどれだけあったかについてはすっかり忘れているし、考えもしない、といったことです。
予言も全然あてになりません。
確率や統計などを科学的に使っている天気予報などとは性質がまったく異なるのです。
中には当たる預言者がいる、と思う人もいるかもしれませんが、それは預言者がその言葉に曖昧さを残していて、いかようにも解釈ができるようになっているからです。
たとえばノストラダムがいい例ですね。
地震とか戦争とか洪水とか、いろんなことを言っていたようですが、どれ一つとして具体的かつ明確に言及されたものは無いのです。
そりゃあ、適当に色んなことを出来るだけ多く、そして曖昧に言っておけば、後になってから「あれはこういうことだった」と後付けの理由をつけることが出来るというものです。
だからもし、ぼくたちの周りに誰か預言者がいるようでしたら、何が起こるのか出来るだけ具体的に、そしてその理由を合理的に説明してもらうことを求めることとしましょう。
神様や奇跡、そして超能力にも根拠はありません。
ただ人間は、あらゆる出来ごとに説明を求めたがり、多くの場合それが難しいため、神様、奇跡、そして超能力に頼りたくなるのです。
超能力者と呼ばれて一世風靡したユリ・ゲラーも、今ではネタバレしていますし、心理学者ユングのシンクロニシティ理論も未だ証明には至っていません。
僕たちが住むこの宇宙は、すべてランダム性と偶然で支配されているのです。
だからこそ、僕たちが頼りにすべきは迷信でも予言でもなく、「確率の基本法則」だということです。
3章:「偶然」とは何か?
「偶然」には不思議なイメージが有りますが、確率によって理解することが出来ます。
1986年、イギリスのある男性が列車事故に巻き込まれます。
列車は事故が起こりにくく、最も安全な移動手段の一つとして考えられていました。
その15年後、その男性の奥さんもまた、安全であるはずの列車事故に巻き込まれてしまいます。
ものすごく低い確率でしか発生しないような、いわゆる「ありえない」ことが起きたわけで、多くの人がこれを「偶然」の仕業であると見たのです。
ここで、偶然の定義を辞書で確認すると、以下の通りです。
・複数の出来ごとが、
・明らかな因果関係が無い中で、
・何か意味があるように見える、
・驚くべき同時発生をすること
2013年にローマ法皇ベネディクト16世が退位した時にサン・ピエトロ大聖堂に落雷したこと。
アメリカ国家偵察局が「飛行機が米国国務省の建物に落ちてきたら?」というシミュレーションを行っていた2001年9月11日その日に、ハイジャックされた飛行機が米国国務省の建物に飛び込んできたこと。
これらこそまさに、「こんな偶然!何か意味があるに違いない!」というように捉えられるわけですね。
それでも、こんな「ありえない」出来ごとであっても、確率の考え方を用いれば理解出来るようになるのです。
確率は0から1の間の数値で表され、0は起きない、1は起きる、その間の数字はその確率で起きる、と考えます。
数字が0に近いほど起きにくく、1に近いほど起きやすい。
「運」というのはそれらが良い意味で起こりうる確率を意味し、「リスク」といえばそれらが悪い意味で起こりうる確率を意味します。
人間と確率の歴史に目をやると、サイコロ、ルーレット、抽選器などが見てとれます。
これらは、確率で遊ぶための道具として開発されてきました。
実際、このような道具は何千年も前から人間によって編み出されています。
人間の遊びの中でもっとも古いものの一つがギャンブルですが、ギャンブラーの錯誤というものがあります。
コインを10回投げて8回が表だった場合、もう一度10回投げるときについつい、「最初のセットでは表が8回だったから、次のセットでは表が2回に違いない」と考えてしまうことです。
しかし確率の考え方を正しく用いると、コインを10回投げるセットを何回繰り返そうが、表が出る確率は5回であるべきなのです。
こうしてギャンブルを通じて確率の考え方が発展して来ました。
他にも近年になって経済行為が海をまたぐようになると、航海に出かけた船が戻って来る確率はどれほどか、という観点から投資の判断が為されるようになり、これもまた確率学の発展に寄与したのです。
ただ一口に確率といっても、事象が起こりうる確率と、事象が起こることの確からしさとが厳密には異なるように、考え方がたくさんありとてもややこしいです。
どれも同じ計算方法で表せることが救いではあるのですが。
確率の考えを用いるうえで、大数の法則と中心極限定理の法則とが役立ちます。
6面のサイコロをものすごく多く投げ続ければ、平均値は限りなく3.5に近づきますし、複数回ずつ投げてその平均を並べてみれば、3.5を山の頂点として正規分布を描くのです。
いずれにせよ、自然界のあらゆる出来ごとは予測不可能で、そこには確率のみが存在します。
続く4章からは、「ありえない」ような偶然が起こる背景について理解するにはどうしたら良いのか、その助けとなる法則が紹介されていきますので見ていきましょう。
4章:不可避の法則
最初に紹介されるものがこれ、不可避の法則。
何かは必ず起こる、というものです。
起こりうる要素をすべて並べたとき、そのどれかは必ず起こります。
例えばゴルフで打ったボールは、どこかに必ず落ちます。
それがホールインワンになることもあれば、隣家の庭に入っていくこともあり、どこかには必ず落ちるということです。
宝くじが例に出されていますが、番号はどれか必ず当たるように出来ているとします。
その時、仮に全ての番号を買うためのお金の総額が、当たった場合にもらえる金額よりも少ないのであれば、番号全てを買ってしまえば良いのです。
なぜなら、不可避の法則により、どれかの番号は必ず当たるからです。
どれも当たり前のように聞こえますが、まずこれが不可避の法則です。
5章:超大数の法則
世の中には、1万分の1の確率でしか存在しない四つ葉のクローバーを見つける人もいれば、137百万分の1の確率でしか起こらない当たりくじをギャンブルで引き当てる人もいます。
どちらも「ありえない」ようには見えるのですが、確率としては起こりうるので、実際に何回も何回も試行を繰り返していけば、「いつかは」それが起こります。
試行回数を多くすればいつかは全ての事象が起こりうることを、超大数の法則と呼びます。
四つ葉のクローバーの例でいえば、1万人がいっせいにクローバーを手にすれば、その中の誰か一人は四つ葉のクローバーを手にしているということですね。
自分一人だったとしても、1万回探せば必ず見つかるということです。
だから、起こる確率はものすごーく小さかったとしても、宝くじの一等に2回連続で 当たることだって有り得ちゃうわけです(当たった人が実在します!)。
また、計算すればすぐに分かりますが、ある部屋の中に23人いると、半分以上の確率で同じ誕生日の人たちが居合わせることになります。
1年365日であることから想像がつきにくいですが、これも確率の概念そのままです。(計算としては、23人の誰もが自分と誕生日が同じでない確率を、1から引いてあげるだけです。)
これも、「誕生日が同じ人がいる」というありえなさそうなことだって、そこにいる人数が増えていけば確率が上がるという例です。
他にも、過去にユリ・ゲラーが唱えた、11という数字の持つパワーについても説明出来ます。
- NYテロのあったセプテンバー・イレブンは:9+1+1=11
- セプテンバー・イレブン後、その年は111日残っていた
- セプテンバー・イレブンは、その年の254日目:2+5+4=11
- バリ島でのテロは、そのあと1年1月1日後に起きた
- ハイジャックされた飛行機はアメリカン航空の11便
- 乗っていたクルーの数は11名
- ニューヨークはアメリカで11番目に設立された州
などなど。ここまで読んできたみなさんは、分かりますよね。
こんなの、11になるようなことを、たくさんあることの中から探し出してきて言っているだけなんです。
2010年のサッカー・ワールドカップでドイツチームの優勝を予測して当てた、タコのパウル君のことは覚えていますか?
当時パウル君は大の人気者になりましたが、ふたを開けてみれば、世界中で多くの動物たちに試合結果予測をさせており、結果として全部当てたパウル君にだけスポットライトを当てただけということです。
実際、8試合を連続で当てることなんて2の8乗ですから256通りしかありません。
256の動物に試合の予測をさせることなんて、誰でも出来る簡単なことです。
当時は試合結果を予測しているブタとかサイとか、色々といたらしいですよ!
6章:選択の法則
続いて、選択の法則です。
これは、サンプルが既に選択されたものかどうかを疑え、ということです。
たとえとしてクルミの例が挙げられています。
お店で売っているクルミは綺麗に殻が割られています。
たまに殻付きのクルミを買っては家で割るものの、上手にできず、いつもクルミも一緒に割れてしまうのです。
お店の人って、クルミを割るのが本当に上手なんだなぁ、と考えていたもの。
ただ実際は、上手に殻を割って取り出せたクルミの実だけを袋詰めにして売っていたんですね。
割れてしまったものは、キズもの品として安売りしていたのです。
そう、袋詰めする前に選択していただけのことです。
ぼくたちがたまたま、アーチェリーの的のちょうど中心に刺さっている矢を見つけた時には驚くかもしれません。
相当な腕前の人がいるものだ、と。
しかもそれが複数連なっているとなおさらです。
でもそれらは、先に矢を刺して、後から丸印を的に書き加えたかもしれませんよね。
これも選択の法則です。
他にも、新薬の開発を行っているケース。
「この新薬が患者に効いた事例が見つかりました!」という報告は、いくつも出てくるものです。
なぜなら、成功事例の方がニュースになりやすいからです。
だって、「効きませんでした」というニュースには興味が持ちにくいですよね。
こうして成功事例にのみ注意が向けられることも、選択の法則として気をつけなければいけないところです。
正しく理解するためには、成功したケースも失敗したケースも両方を集めて確率を確かめることで、その新薬が本当に効くのかどうかを見極めるべきなのです。
何か成功事例に出会った時には、その裏にあるはずの「どれだけ失敗が有ったのか?」ということに意識を向けることが大切です。
7章:確率てこの法則
7章は確率てこの法則です。
本章の内容は少し分かりにくいですが、自然界の事象はだいたい正規分布すると言われている中で、この「だいたい」という点がキーで、正規分布しないことだって有るよ、ということです。
たとえば、
雷に打たれて死亡する確率は30万に1と言われていますが、雷が地面の高さにまで落ちて来る確率そのものは、大都市よりも大平原でのほうが高くなります。
なぜなら大平原には大都市みたいに高層ビルが無いからです。
雷が鳴っている時に人間が大平原をウロウロと歩いていれば、それだけその人に雷が落ちる確率がぐぐっと上がります。
実際、アメリカの国立公園のレンジャーだった人で、生涯に7回も雷に打たれた人がいます。
ありえないことのように思えますが、雷が落ちやすいところによくいたことが、発生確率をてこのようにぐぐっと上げたわけですね。
これは、大都市で雷に打たれる確率と大平原で雷に打たれる確率とを、同じ尺度で考えてはいけないということでもありますね。
他にも、英語でSudden Infant Death Syndrome(SIDS)と呼ばれる乳幼児突然死症候群の例が挙げられます。
昔アメリカで、2人の乳幼児を連続して死なせてしまった女性がいました。
本人の無罪を主張する声は聞き入られず、有罪判決を受けて投獄されてしまいます。
赤ちゃんが突然死する確率は一般的に1300分の1と言われています。
その中で担当判事は、その女性がタバコを吸わない・比較的裕福・若い、ということから、「赤ちゃんが突然死する確率は通常より低い、8543分の1のはずだ」という推定をします。
そして「2人連続したということは、8543分の1の2乗である73百万分の1のことである。こんな低い確率のことは発生するわけはなく、きっと母親が2人を殺害したに違いない!」という結論を下してしまうのです。
ところがこの判決、「乳幼児が連続して男の子の場合、突然死の確率が上がる」という事実を見過ごしてしまっていました。
後になって専門家によってこの点が明らかにされると、有罪判決がくつがえり、その女性も釈放されることになりました。
ほんのわずかなことで、「偶然」に見えてしまうようなことがたやすく起きてしまう、とても恐ろしい事例です。
この確率てこの法則、自然界の事象はだいたい正規分布するものの、何か特別な原因が背景にある場合には「ありえない」ことでもたやすく起こり得る、ということを教えてくれるのです。
8章:「近いは同じ」の法則
最後の法則は、「近いは同じ」です。
これは何かというと、「ああ、だいたい同じだね」というように基準をゆるめることによって、ありえないことが起こる確率が高まるというものです。
たとえば、
1から100の数字がついた100面のサイコロを振って、僕が「13を出すぞ!」と言って投げた時。
13ピタリでなくても、12とか14も「おー、ほぼ当たった!」とすることによって、ありえないことが起きる確率が上がるというもの。
他にも、
「あの時、ドイツのベルリンにいたんだよねー」と言った時に、「え、自分も同じ時にベルリンにいたよ、すごい偶然!」という友達がいたとします。
でも、実は同じベルリンでも、広い都市の中でそれぞれがいた場所はぜんぜん違うところ、ベルリンに行った目的も違う、滞在時期が重なっていたのはたったの1 日。
こんな程度では偶然とは呼べないはずだけれども、「近いは同じ」と見なしているがゆえにそれを偶然と感じてしまう、ということです。
何か偶然に出会った時に、それは「だいたい同じ」なのか「ぴったり同じ」なのかを見極めなければいけません。
「だいたい同じ」である場合、それは偶然ではないという結論になりかねないからです。
9章:人間の思考パターン
やっかいなこととして、人間の思考や直感というのは、確率の概念を正しく認識してくれません。
たとえば、つぎのケースで、AとBのどちらの方が確からしいか考えてみてください。
ケース:
ジョンは数学専攻で学位を取得したあと、天体物理学の博士課程に進んだ。
その後、大学に残って物理学の研究にいそしんだが、アルゴリズム計算を専門とする研究所に転職した。
そこでは高度な統計モデルを構築し、複雑な金融市場の予測をすることに成功した。
ジョンは時間が有るときは、科学系の学会に出席することが多い。
ジョンについて、どちらの方が確からしいでしょうか?:
A:ジョンは既婚で2人の子供がいる。
B:ジョンは既婚で2人の子供がいる。時間がある時には数学のパズルを解いたり、コンピューターゲームで遊んだりする。
どうでしょう?どちらの方が確からしいと思いますか?
Bを選んだ方が多いのではないでしょうか?
家族がいるだけでなく、数学のパズルを解いたりコンピューターゲームで遊んだりする方が、より本人らしいですよね?
しかし、確率的な答えとしては、Aです。
なぜなら、Aの方が記述が少ない分、より多くの可能性を含んでいるからです。
人間にはこのように、家族持ちであることと、趣味が数学やコンピューターゲームであることといった、複数のことが重なったときにそれが「より確からしい」と考えてしまう習性が有るのです。
他にも、数ある白いボールの中から少ない赤いボールを選ぶゲームをする際、
A:白9個+赤1個=合計10個
B:白92個+赤8個=合計100個
という2つの袋のどちらから選びたいかを参加者に聞くと、Bを選ぶ人が多くなります。
赤が1個より、8個入っている袋の方が赤を掴める確率が高くなるはずだ、と考えてしまうからです。
しかしこれは間違っていますね。
赤を選ぶ確率は、A(0.1)の方が B(0.08)よりも高いからです。
これらのように、人間には確率を正しく認識できないような思考パターンが有ることが分かっており、この本の中では他にも例が挙げられています。
10章・11章:生命や宇宙の仕組み、「ありえなさの原理」の使い方
こうして見てきたように、世の中は色々なことが不規則に起こります。
そして人間の思考パターンなんてものも、全然あてになりません。
だからこそ、様々な事象に規則性を見つけて将来に役立てようと、人間は科学を発達させて来ました。
しかし科学といえど、それは「ものごとが発生する確からしさ」を再現することでしかなく、この世の真理を見つけられるわけではないのです。
そして科学は世の中の真理でないからこそ、たとえこれまで正しいとされて来たことであっても、より正しいであろうことが見つかれば、これまでの考えを見直さなければいけないということです。
仮に偶然や奇跡といった「ありえない」出来事と出会った場合、不可避の法則・超大数の法則・選択の法則・確率てこの法則・「近いは同じ」の法則をもとに批判的な目を持ち、その出来事がどういった意味を持つものか、統計的・確率的な観点から考えなければいけません。
まとめ:「偶然」の統計学
難しい内容でしたが、要は、僕たちが頼りにすべきは迷信でも予言でもなく、「確率の基本法則」だということです。
これこそが、この本の1番のメッセージです。
そして合わせて大切なこととして、もし、ぼくたち自身の成功確率を上げたければ、学習と行動を繰り返していくしかないということです。