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ケンペルの見た日本 (その7) :将軍との謁見までの行路について

ケンペルの見た日本

将軍との謁見までの行路についてようやくこの本も、メインパートに入ります。そう、時の将軍綱吉に謁見できるということで、長崎・出島を離れ、日本を縦断して江戸まで参上できるラッキーを、ケンペルは得ることができたのです。その様子について、書かれています。

ケンペルは地元長崎の高官たちとともに江戸に出かける準備をするのですが、現地で将軍や高官たちに贈呈するプレゼントの準備や、随行する人の人選、そして籠や馬の手配など、あれやこれやで大変そうです。

長崎から都 (京都) に向かう幹道では、きちんと左側通行を守るよう決められていたそうです。日本はこのときすでに、道路の左側通行が存在していたのですね。

長崎から江戸までは通常、3つの行程で成り立っていたそうです。一つ目が、長崎から小倉までを、約5日間で。そこから九州を出て下関に渡ります。二つ目が、下関から大阪まで、約8日間。そして最後の三つ目が、大阪から江戸まで、14日間以上をかけて向かいます。合計で、27日、ほとんど丸1ヶ月を費やしたということです。

その道中、ケンペルは様々なものを見ますが、富士山や藤の花、椿の花などが特にキレイであったといいます。そういったキレイなものを見られたことは大変素晴らしかったと書いていますが、どこの家の軒先にも肥料にするための糞・肥やしが溜めてあってようで、その匂いがたまらなくキツかったとも書いています。

当時は、一般大衆の家の玄関には、牛頭天王の絵が飾られていたそうです。牛頭天王とは、日本における神仏習合の神で、厄除け、特に咳病を予防してくれると信じられていたとのこと。

ケンペルが描いた牛頭天王の絵

東海道のように、大勢の人が行き交う幹道沿いには、酒や饅頭を得る売店が並んで賑わっていたようです。その人たちの中には、伊勢神宮にお参りに向かう人、山伏などの修行僧、物乞い、日銭を稼ぐための子供達など。また、「宿 (しゅく)」と呼ばれる旅館もあって、どの旅館にも必ず娼婦がいたとのこと。

このようにして、長崎・出島を出発したケンペル一向は、佐賀・小倉・下関・兵庫・大阪・伏見・都・膳所・桑名・宮・岡崎・駿河・品川を通過して、江戸・日本橋に到着します。

ちなみに、品川の入り口には犯罪人の処刑場があったようで、多くの死体がゴロゴロと転がっていて、野良犬やカラスたちがその死体をむさぼり食べていたという記述もあります。これはきっと、鈴ヶ森刑場でしょう。今でも跡地が残っています。

次回はいよいよ、将軍との謁見の様子についてです。

続きは次回。