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松平康隆元全日本監督をバレーボール殿堂で偲ぶ【時間差攻撃考案者】

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以前、アメリカにあるバレーボール殿堂を訪れてきた時のこと。

雪の降り積もる小さな町には昔の面影を残す古い建物が多く、まさかここがバレーボール発祥の地とは想像出来ないような静かな場所にありました。

そこには世界中で名を馳せた往年の大スターたちの中で、一際輝くプレートがありました。

その日本人男性の名は、松平康隆

彼のなし得た偉業と、それを可能にした思考とを振り返ると、腹の底から元気が湧き上がります。

 

本記事のポイント

 ・バレーボール発祥の歴史

・世界初・時間差攻撃の考案

・斬新なアイディアと実行力

・常識の先には常識しかない

・負けてたまるか!

 

 

松平康隆元全日本監督をバレーボール殿堂で偲ぶ【時間差攻撃考案者】

松平監督を称えるプレート

 

バレーボール発祥の歴史

バレーボールが発祥したのは1895年、今から120年以上前のこと。

場所は、アメリカのマサチューセッツ州ホリヨーク市という場所です。

地元のYMCAという健康促進のための団体をリードする、アメリカ人William G. Morgan氏が発案したものです。

元々は今のような激しいスポーツではなく、中年男性をターゲット層とするような、軽く身体を動かして楽しめるスポーツとして考案されたようです。

当時から盛んにプレーされていたバスケットボールよりも激しくなく、それでいて健康増進に貢献出来るスポーツを目指していたとのこと。

それが今ではすっかり、高さ・早さ・パワーなどを激しく競うような、世界で最もプレーされているスポーツの一つに成長しています。

日本のバレーボール

今でこそ、日本でもバレーボールは人気スポーツの一つ。

テレビ中継も頻繁にされては、「ニッポン、チャチャチャ!」と掛け声をかけて応援され、お茶の間に元気を届けてくれます。

近年では2012年ロンドン五輪で全日本女子が7大会振りのメダル獲得として銅メダルを日本に持ち帰って話題になりましたが、その後は鳴かず飛ばず。

ただ日本もその昔は、男子・女子共に、金メダルをも獲得するバレーボール強豪国でありました。

オリンピック正式種目になった1964年の東京オリンピックから数年間は、人気実力ともに絶頂の時代。

とはいえ、その当時もメダルが簡単に取れていたわけではなく、想像できないほどの努力と工夫があったのです。

世界初・時間差攻撃の考案

全日本男子バレーがオリンピックで最後にメダル獲得をしたのは1972年のミュンヘンオリンピックで、そのメダルの色はでした。

チームを率いたのは、故・松平康隆元監督。

この松平元監督が「時間差攻撃」の考案者であることは知っているでしょうか?

バレーボール経験者であれば誰もが知っている、時間差攻撃。あれは、日本チームが考案したものだったのです。

時間差攻撃とは、おとりのメンバーが早い攻撃をすると見せかけて相手のブロックを引き付け、相手がおとりに釣られて手薄となったところへ他のメンバーが走りこんでスパイクを打つ、というものです。

複雑だけれども非常に効果が有る攻撃方法でして、今では国や地域を問わず、世界中で取り入れられているプレー方法です。コンビバレーとも呼ばれています。

バレーボールでは高さの決まったネットを挟んで相手チームと対戦をするので、当然、高い身長と大きな身体から生まれるパワーが優位となります。

日本人の平均身長が他国と比べて低いのは、今も昔も変わりません。

そこで身長で勝る相手にどうにか勝つ方法は無いか、考えに考え抜いた末に生み出された方法が時間差攻撃だったのです。

こうした工夫と努力が奏功し、ミュンヘンオリンピックでの金メダル獲得に繋がりました。

A master technician and strategist, and revolutionized the game, by devising the multiple quick attack.

(日本語訳) 技術を極めた戦略家。時間差攻撃を考案し、バレーボールというスポーツに革命を起こした。

そのように非常に効果的な時間差攻撃を世界で初めて考案したことから、バレーボール殿堂にある松平元監督のプレートには、このように書かれており、最大限の賞賛を贈られているのです。

斬新なアイディアと強い行動力

さらに松平元監督は、その斬新なアイディアと強い行動力でも類を見ないリーダーでした。

当時を知る60代以上の方には未だ強く記憶に残っているだろう、アニメドキュメントの「ミュンヘンへの道」が、まさにそれです。

オリンピックが始まる前からアニメドキュメントをテレビで放映し、そこに実際に選手の練習風景も登場させたのです。

これによって、当の選手たちの真剣度合いは急激に上昇し、お茶の間の視聴者たちが日本全国で「ミュンヘンオリンピックでは絶対に金メダルを取るぞ!」と意気込むほど、社会現象すら起こすことに成功したのです。

選手たちにとっても全国に名前が知れ渡ることにより、それまで以上に気持ちが高まることを見越しての策だったのです。

「常識の先には常識しかない」

このように、斬新なアイディアと、それを実行する強い行動力を持った松平元監督。

その行動を支えた思考からも、多くの学びを得ることができます。

常識を何倍にしても、100倍にしても、その先には常識しかない。

金メダルを狙うには、 非常識を積み重ねていくしか ないんだよ。

このように、よく仰っていたそう。

今尚色あせない、とても重みの有るメッセージです。

「負けてたまるか!」

生前、ご自身に対して「負けてたまるか!」と静かに言い聞かせていたそうです。

これは、相手に対してではなく、自分自身に対するものであり、克己心を駆り立てるものです。

非常識を重ねる中、反対や反発と衝突することは必至。

それでも自分が信じた道を力強く歩み進める時、成功に近づけるのです。

挑戦をする者のみが感じる、大きな不安なんかに、負けてたまるか。

 

バレーボール殿堂詳細情報


名称:Volleyball Hall of Fame
所在地:Holyoke, Massachusetts USA
Website:http://www.volleyhall.org/

 

アメリカのトップMBAを取得し、卒業後にアメリカ企業本社の幹部候補生として採用されたノウハウを紹介しています。

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ブログを引っ越しました。→https://presence-japan.com/blog/

現在、プレゼンスジャパン株式会社としてエグゼクティブコーチングを提供しています。

プロフィール
西原哲夫
西原哲夫
経営アドバイザー | エグゼクティブコーチ
慶應→住友電工→アメリカ駐在(25歳)→ノースカロライナ大MBA(30歳)→エマソン米国本社幹部候補(32歳)→日本エマソンGM(35歳)→ユーピーエス社長(39歳)→経営アドバイザー兼コーチ(今) | 2児の父親|アメリカ在住10年|表千家茶道学習者
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