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【メキシコ旅行】植民地化の歴史・キリスト教への改宗・グアダルーペ寺院

メキシコの記録をいろいろと紹介してきましたが、今回は、宗教・教会について。とくに、現地でどれだけキリスト教が力強く広がっているかという点には、目を見はるものがありました。

そう、キリスト教は、スペインが植民地政策の一環として持ち込んだものです。その土地に元からあったものではありません。現地の住民たちに、自分たちの言葉・神様を信じ込ませることで、コントロールしようとしたわけです。

まず、歴史を振り返ると、

探検家であるコロンブスがスペインを出発し、西インド諸島に到着したのは1492年。その後、ヨーロッパと新大陸を行き来し、コロンブスに続く他の探検家もあって、現在のハイチ・ドミニカ・キューバといった島々が次々と植民地化されていきます。それらの島々は、エスパニョーラ島と呼ばれていました。黄金を探し求めつつ、原住民を虐殺したり奴隷化したりするなど、残虐の限りを重ねました。

さらに、情報収集を重ね、より西の方角へ探検を重ねる中で、高度に発達した文明があることを見つけます。それが、現在のメキシコであり、当時のマヤ文明とアステカ文明です。

1517年、それらの高度文明を侵略することを決意し、行動に出ます。すべては、黄金などの富を見つけ、略奪するため。

手はじめに、メキシコ東部のユカタン半島にある、マヤ文明への侵略をおこないます。マヤ文明には高度な石器技術があったものの、鉄器技術は発達していませんでした。そこに、すぐれた鉄製の武器をもって乗り込んできたスペイン軍の前に、地元住民はなすすべがありません。

かの悪名高い、エルナン・コルテスがメキシコに乗り込んできたのが1519年。目的は、メキシコ中央部・高原地域のアステカ帝国を征服するため。現在のメキシコシティにあたる、当時の首都、テノチティトランを陥落させることがミッションでした。結果、1521年にコルテス率いるスペイン軍によって制圧されます。

その後、1521年から、メキシコが独立を勝ちとった1821年までの300年の間、メキシコは「ヌエバ・エスパーニャ」と呼ばれます。「新・スペイン」という意味であり、スペイン王国の副王領として扱われました。

搾取を目的として植民地化を進めるにあたって、スペインがとった政策は、現地住民のキリスト教への改宗。スペインのやり方が正しいと信じ込ませ、スペイン人たちの言うことを聞かせようとしたのです。そこで、スペインから、数々の司祭たちも送り込まれてきました。さらに、それまで現地にあった歴史や宗教は徹底的に否定しなければいけませんので、歴史書などの書物は、一切が焼き払われました。いわゆる焚書です。メキシコは仮面が有名ですが、キリスト教を現地住民たちに教えるための芝居の中で、仮面が使われたとも言われています。

メキシコでは、どこの町に行っても、立派な教会や聖堂があります。その中で、もっとも有名で、地元住民たちからもっとも愛されているものが、メキシコシティ郊外にある、グアダルーペ寺院です。

目の前のものが、グアダルーペ寺院。
グアダルーペ寺院はとても古いため、すでに傾いています。そこで新しく建てられたのが、左側のもの。
オリジナルのグアダルーペ寺院の内側は、この通り、非常におごそかなもの。天井の壁画には、目をみはるものがあります。
こちらが、新しく建てられた寺院。サイズが巨大で、ステージ上の司祭に向かってみんなでお祈りをする様は、圧巻。

 

言い伝えによると、1531年に、現地住民のフアン・ディエゴが、この地で聖母に出会い、「教会を建てるように」とお告げを聞いたことがはじまりだったとか。その当時、ディエゴが着ていたマントに、気づくと聖母の絵が描かれており、そのマントが今でも聖堂内に飾られています。(上の写真)
グアダルーペ寺院の裏には丘があり、階段で上がると、そこにはさらに古そうな聖堂があります。

 

丘を上る階段の途中から、メキシコシティ中心部を眺めると、このように一望できます。昔も、アステカ帝国の首都、テノチティトランが一望できたことでしょう。

 

現地では、グアダルーペ寺院をお参りする際、敷地のはじまるところから、聖堂内の聖母前までの長い距離を、ひざまづいたまま、少しずつ進んで行くと良いとされているそうです。実際、ひざまづいて進んでゆく参拝者たちを、何人も見ました。中には、家族連れで、小さな子供にも同じことをさせている人たちもいました。こうやって、時代を経ても、宗教心が弱まることはなく、脈々と信仰が続いていくのでしょう。

写真の中で気付いた方もいると思いますが、グアダルーペ聖母の肌は、「褐色」です。

「褐色」という理由もあって、地元住民たちに人気が高いと考えられます。

もしこれが、当時のスペイン人たちが、地元住民たちにキリスト教を受け入れさせるためにあえて選んだ色だとしたら。

その昔、メキシコと同じくスペインの植民地であった、ボリビアに行ったときのこと。

ペルーとの国境沿いに、チチカカ湖という、それはそれはきれいな湖があります。地元の人からは、神聖な場所として崇められています。

町中で、聖母マリアとおもわしき絵を見かけたときに、「この人はだれ?」と、地元の人に聞いたことがあります。

「聖母マリアだよ。その昔、チチカカ湖から出てきたんだよ。」

(参考文献)

  • 「マヤ 文明 ─ ─ 密林 に 栄え た 石器 文化」著:青山 和夫
  •  「物語 メキシコ の 歴史」著:大垣貴志郎

 

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