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ケンペルの見た日本 (その9・最後) :この本を通して学んだこと

この本を少しずつ読んで来て、大きく感じたことの一つはやはり、ケンペルの鋭い観察眼と異文化理解力です。外国である日本に住んだ期間はたったの2年間。言葉もろくに通じません。それでいて、多くの日本人ですら深く理解していないであろうことを、しっかり記述しています。例えば、イザナギとイザナミによる国産みによって日本という国が生まれ、日本の総氏神である天照大神の系統を引いているのが天皇家であること。しかし、天皇が必ずしも日本の政治を支配してきたわけではなく、鎌倉幕府を開いた源頼朝がはじめて征夷大将軍を名乗り、江戸時代においても実質的な政治や統治は「将軍」によってなされていること。つまり、日本人は、「天皇」と「将軍」という、異なる2つの力によって支配されているということを、その経緯を含めて理解をしているのです。

もう一つ、これまでの考え方を改めさせられたことは、「鎖国」についてです。

「鎖国」というと、「徳川幕府が外交権を独占することに加え、国内における自分たちの力を守るため、海外とのつながりを全てシャットアウトし、徹底的に国民の目を、権力である自分たちに向かせるために行ったこと。結果として、ヨーロッパ諸国を中心とした植民地主義・帝国主義に関する情報に疎くなるだけでなく、産業革命にも乗り遅れ、ペリーによる黒船が来航する頃にはすっかり、世界の後進国になっており、力で負けてしまうことになった。」というネガティブなイメージをぼくは持っていました。

ただ、この本を読んで当時の状況を想像すると、「外国との取引に及び腰になるのも、理解ができる。」と考えるようになりました。15世紀半ばから盛り上がり始めた大航海時代、徳川幕府が開かれた1600年初頭には世界中のあちこちでヨーロッパ人たちが植民地支配をしていました。主役はポルトガルとスペインで、世界各地の資源・土地・富を力で奪いに行くことに必死。その流れで、彼らは日本にも来ています。キリスト教の布教を名目に来日した宣教師がいるのも事実ですが、実際は、ほとんどの人たちがキリスト教という名目を傘にして、富を狙っていました。例えば、日本人は海外のことに関しては、てんで無知でしたから、「ヨーロッパ製の貴重な薬だよ!」とポルトガル人から言われれば、それをありがたがって大金を払っていたようです。ケンペルの記録によると、毎年、300トンの金が日本から国外に持ち出されていたとのこと。300トンですよ、300トン!

で、次第にそのポルトガル人やスペイン人たちが調子に乗ってきて、日本の為政者の目にも余るようになります。日本の地元民の前で日本の為政者の陰口を叩き、ポルトガルやスペインの方がどれだけ偉いかと言い回り始めるのです。長崎の地元の高官と道ですれ違っても、日本独自の挨拶をすることすら拒否し、偉そうにその高官の前を横切って歩いたと言います。そのようにやりたい放題にされたら、誰だって、「もう来るな!」と言いたくなるもの。この本には見当たりませんでしたが、当時のポルトガル人は、日本人奴隷を九州から東南アジアに連れて行って売買すらしていたという話もあります。

同じポルトガル人の間でも、教会側から、貿易従事者に対して、「度を過ぎたことをするな。キリスト教を名目に使うな。」と警告が出されるのですが、その横暴は止まらなかったそう。残念ですね。

で、これに対してオランダという国は、この一部始終を見守っていましたから、日本国内で度を過ぎた真似をしないよう、気をつけていたようです。貿易では適度に稼ぎ、幕府に対しては年1回の謁見にしっかりと出向き、将軍や家老たちが喜んでくれるような珍しいプレゼントを必ず持参していたというのです。このため、長期的に日本に出入りすることを認められていたのです。中国に関しては大昔からずっと取引のある国ですし、規制をせずとも貿易船が行ったり来たりするような状況でしたので、その後も取引を続けていたというまで。

日本史の授業で「異国船打払令」という過激な政策が取られたことを学びましたが、その政策が打ち出されたのは1825年のこと。その時、中国が弱体化してヨーロッパ諸国に食い物にされているという情報があったことから、取られた政策。つまり、江戸時代の当初にはあからさまな「鎖国政策」というものはなかったと考えます。ただ、何度となく警告をしても、それを無視して迷惑を働く外国人たちを次第に入国禁止にしていっただけだと。

ケンペルの記述に、こんなものがあります。

「日本人というものは、人が良い。町中に立て札が立っており、あれをしてはいけない、これをしてはいけない、と書かれている。まるで、人が罪を犯さないよう、事前に救ってあげているようだ。」

おしまい。